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運転と流れ
最近、大学をよくサボる。
テストが近いからかな。よく無い。


どうも、こんばんは。N64でございます。


運転免許を取って、運転して、いろんな情報に触れる。
その過程の中で、どうしても違和感が拭いきれないものがある。

「流れ」ってなんだろう。

運転に関するサイトとかブログとかを読んでいると、流れという単語がよく出てくる。
場にあったスピードで運転せよ、という意味だと思う。
果たして、教習所で流れを読め、ということを教わっただろうか。
思い返す限り、無い。
少なくとも、僕の通っていた教習所においては無い。
道交法が言っているのは、円滑に、ということだけのはず。

じゃあ、この円滑と流れの違いはなんだろう。

円滑、というからには、滞りなく、スムーズに車が往来することだろう。
そこにスピードの概念はない。

流れ、というのは結構難しい。先頭の車が流れを作る、と個人的に思ってしまうが、そうではないらしい。
例えば、先頭の車が制限速度ぴったりに走っていても、遅いと感じる人がいるからだ。
つまり、それぞれの人の中にある「この道はこれくらいのスピードで行くべき」という指針が流れとして、それぞれの人の間で共有されているのかな、と思う。

意思疎通のできない状況下において、各々がある程度揃った意見を持つのは面白い。

その人たちは、他人の違反に追従し、しかもそれを流れとして正当化し、他人にも強要しようとしている、と感じる。


個人的に思うのは、流れのような不透明なもので人を縛り付けるのがよくない、ということ。まあ、これは運転に限った話ではないけれど。

法律は法律。人がルールを守ってこそ、ルールが人を守るのだから、違反はするべきではないし、強要するべきでもない。

クラクションは基本的に慣らすべきじゃないし、一時停止は守るべきだ。
他人をイラつかせてもしょうがないし、安全確認は大事だから。

それにしても、運転している時にイラつくのは、運転適性がないのでは?



なんか、今まで思ったことをまとめておこうと思って書いたけど、正直よく分からない文章になった気がする。文章を書くのは難しい。
流れなんて言葉がなくなるような車社会ができればいいと思う。


それでは。

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